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大阪高等裁判所 昭和41年(う)648号 判決 1966年7月18日

被告人 富永一久

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人山口幾次郎作成の控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用する。

控訴趣意一の訴訟手続に法令違反があるとの主張について

論旨は原判決は被告人に対し本件管理売春の事実を認定するにつき、森敬子、石田文子、梶洋子、谷口智子、富永ノブの検察官に対する各供述調書、及び被告人の司法警察職員ならびに検察官に対する各供述調書を証拠として採用している。しかしながら右森敬子、石田文子、梶洋子、浜口敏子、谷口智子らの検察官に対する各供述調書は、警察官が府警本部から出ている売春に関する資料、他の売春事件の記録をもとにし、同人らをあるいは顔面を殴打し、あるいはどなりつけ、あるいは留置場に入れると脅迫して勝手に作成した供述調書をもとにして作成せられたもので、而も供述者にその読み聞けもされていない。したがつて右各供述には任意性はないのは勿論、右各供述調書は刑事訴訟法二二三条、一九八条の規定にも違反している。又富永ノブの検察官に対する供述調書及び被告人の各供述調書もともに捜査官の強制にもとずくものであり、任意性はなく、又その供述の読み聞けのないことは右と同様である。以上のとおりであるから右の各供述調書は証拠能力がないものというべく、これらを証拠とした原判決には訴訟手続に法令違反があるというのである。

よつて調査するに、原判決が本件につき右のうち、森敬子、石田文子、梶洋子、谷口智子、富永ノブの検察官に対する各供述調書、被告人の司法警察職員及び検察官に対する各供述調書を証拠として採用していることは所論のとおりである。(しかし浜口敏子の検察官調書は証拠に供されていないのでこれは論外とする)そして、原審証人森敬子は取り調べを受けた警察官に殴られた旨供述し、原審証人石田文子もそれを目撃した旨供述しているほか同証人及び原審証人梶洋子らはいずれも警察での取調べは自分らのいうことを聞いてくれず警察官が勝手に調書をつくつた旨それぞれ右所論にそう供述をしている。しかし証人谷口智子はむしろ警察及び検察庁での取調べに当つては特に強制を受けたことはなく、アパートの件を除いてはすべて事実を述べた旨むしろ所論と相反する供述をし、又証人富永ノブは警察での取調べについて稍々所論にそう供述をしているが、原判決が証拠に供したのは同人の検察官調書のみであつて、而もそれは主として児童福祉法違反の事実に関する供述を内容とし本件とは直接関係のないものであり、右両名の供述調書についての所論はその主張自体理由がない。次に原審証人森敬子が警察官から暴行を受けたとの点については同人の供述自体極めて曖昧であり、これを目撃したという石田証人の供述も、右森の取調べを担当した司法巡査である原審証人福留藤樹の供述に照らしたやすく信用し難い。又、右石田証人及び原審証人梶洋子の警察官が勝手に調書をつくつたとの点についての各供述も、右福留、谷口の各証言に照してこれまたたやすく信用し難い。のみならず右森、石田、梶らはいずれもその後検察官の取り調べを受け、その際ドリンク制による売春に関して幾分従前の供述を敷衍、補足したほかは司法巡査に対してしたと同趣旨の供述をしているのであつて、この検察官の取調べの際に強制その他所論の如き供述の任意性に疑いを生ぜしめるような事実があつたことは記録上これを認めることはできない。次に所論は被告人の前掲各供述調書の供述にも任意性のないことを主張するけれども、原審においてその任意性を争つた形跡はなく、固よりその供述に所論の如き強制押しつけ等任意性を疑わしめる事実は記録上全く認められない。この点の所論は採るを得ない。さらに所論は前掲各供述調書はその供述者に供述内容を読み聞かせがなされていないのは違法である旨主張するのであるが、前掲証人谷口智子、福留藤樹のほか原審証人速水太郎、同河野一夫、同稲毛克己、同橋本喜義の各供述によると右各供述調書については、調書作成後、その供述者に供述内容を読み聞かせるか、又は読み聞かせなかつた場合はその供述を調書に録取する過程において取調官においてその事項を逐次立会いの検察事務官に口授して録取させ、供述者自身もその場にあつて、如何なる事項が録取されているかを十分知り得る状態において調書が作成され各供述者においてこれを承認、署名押印したことが認められるから、形式的には読み聞かせの手続をとらなかつたとしても供述録取の方法には所論の如き違法はない。この点の所論もまた採るを得ない。

以上要するに、原判決が証拠に供した所論の各供述調書はいずれもその証拠能力を欠くものではないから原判決には所論の如き訴訟手続に法令違反の廉はない。論旨は理由がない。

控訴趣意二の事実誤認の主張について

論旨は原判決は被告人が女給森敬子ほか三名を被告人方家屋内に住込ませ又は同家屋内で客待ちさせ、かつ、売春の対償を分配取得して管理売春を行つた旨認定している。なるほど女給のうち梶洋子が被告人方で寝起きしていたこと、女給らが勤務時間である午後六時頃から午後一一時頃まで同家屋内にいたことは間違いないけれども、被告人は売春業を営んでいたものではなくカフエーを営んでおり、同森敬子らは女給として働いていたものであるから、それが住込みであれ、勤務時間中の客待ちであれ、それは売春のためでなく、当然のことである。右女給らがたまたま売春をしており、被告人もそれを承知していたとしても、その売春は同女らが勤務時間後に行つた単独の行為であり、被告人はその対償の分配を受けていないのである。原判決はいわゆるドリンク制なるものは売春と密着し、ドリンク制売春という一類型を考えているのであるが、ドリンク制というのは女給らが勤務時間中に客に奢つて貰つたドリンクの対償の一部を女給らに割戻す制度であつて、決して売春の対償の分配ではない。したがつて被告人がドリンク制により反射的に利益を得たとしても売春に介入しない限り、又店で客待ちをさせ、家に住込ませていたとしてもそれはカフエー営業の為であつていわゆる管理売春の刑責を負うべき謂れはない。原判決は事実を誤認しているというのである。

よつて原審において取り調べた証拠を精査し、原判決挙示の証拠によると、被告人は妻富永ノブと共に昭和三九年一一月頃から肩書住居に船員相手のカフエー「アロー」の経営を始め、その後原判示森敬子ら数名の婦女を右「アロー」の女給として雇入れたが、その際同女らに対しては勤務時間は午後六時から一一時までであつて、固定給として七時までに出動すれば一日二〇〇円、八時までに出勤すれば一〇〇円を支給するが八時以後の出勤には支給しないこと、そして時間中は外出を許さないこと、客は場所柄その殆んどが船員であつて、店で飲食するよりは女を目当てに来るのであるから、もし客の求めにより売春に応ずる場合はその対償は全部女給の取得とするがそれでは営業が成立たないので、その為にはいわゆるドリンク制にしたがつて、客にドリンクを原則として五杯以上(客の所持金が少ない場合には三杯でもよい)を奢らせなければならないこと、ドリンクというのは一杯三〇〇円であつてそのうち一〇〇円を女給に払戻し残りは店の取得とする趣旨の約束をし、同女らも右趣旨を十分了承して、原判示梶洋子が被告人方で住込んだ以外はすべて同女らが任意に居住していた付近の福寿荘から通勤で働くこととなり、同店に来る不特定多数の船員らの遊客を相手に主として被告人から特に指示されたつるや旅館等付近数ケ所の旅館で売春をしていたこと、被告人は性病予防の為特に同女らに週一、二回大阪市港区三条通四丁目の歓義堂婦人科医院に赴かせて検診を受けさせていたこと、前記ドリンク代は一旦被告人らにおいて管理し毎月二日これをまとめて前記取決めにしたがつて同女らに分配していたこと、女給らの収入としてはその殆んどが右のドリンク代と売春の対償であつて、固定給としては極めて僅かであり、「アロー」の収入も本来のカフエー営業によるものがあつたとはいえ、その多くをドリンク代に期待しドリンク制による営業を始めたものであり、被告人も大阪港の沖合に碇泊している船まで出かけて行き船員に案内状(昭和四一年押二一〇号の三)を手渡し、客の誘引につとめていたこと等が認められる。原審証人森敬子、同石田文子、同梶洋子、同富永ノブ及び被告人の原審公判廷における各供述中右認定に反する部分は他の関係証拠に照し信を措き難い。そして右認定の事実から判断すると、被告人らの営業は名はカフエーとはいいながら、その客種から考えそれのみによつては収入を期待できないところから、その界隈の他店にならつていわゆるドリンク制をとり、客の求めに応じ女給すなわち売春婦を提供しドリンク代を支払わせ、これを女給と分配し、これによる収入が収益の重要部分を占めていたもので、女給自身も自らの収入を得るが為には勢いドリンク制にしたがつて遊客を相手に売春せざるを得ず、名は女給といいながらその実態は売春婦と同一で、出勤はすなわち客待ちであり、而もドリンクというのはジユースにウイスキー等をたらした原価僅か三〇円程度の飲物であることを考えると、右のドリンク代というのは実質上売春の対償の一部であるといわざるを得ない。畢竟するに被告人の営業は売春防止法による取締りを免れる為ドリンク制なるカラクリによつて雇入れた女給らに売春させ、その対償の一部を取得することを業としていたものというべく、女給自身も被告人の支配介入の下に売春稼業を行つていたもので、その売春は毫も所論の如く同女らの単独の行為というべきものではない。

ところで原判示女給のうち梶洋子は被告人方に住み込ませていたのであるから、同女は売春防止法一二条にいわゆる被告人の占有する場所に居住させた場合に該当することは勿論であるが、他の三名の女給の如く各自が任意に住居と定めたアパート福寿荘から通勤させて売春させていた場合もまたこの場合に該当するかどうかについて考えてみる。売春防止法一二条は売春に従事する者の居住場所にある種の支配関係を及ぼすことはその者に有形、無形の圧力を加えて売春をさせることになり、いわゆる娼家経営と異ならないことから特にこれを重く処罰しようとする趣旨であると解せられる。然らば同条にいう「居住」の意義もその立法趣旨にかんがみ、これを合目的的に解釈しなければならないものであつて必ずしも一般用語例にしたがい、その場所を起臥寝食に使用する場合に限定すべきものではない。したがつて売春業者が売春婦を住込ませる場合ではなく、通勤の売春婦を一定の時間、業者の占有する店で客待ちさせる場合であつても、その通勤と業者の管理支配する場所で一定の時間客待ちすることを余儀なくされ、その間外出の自由も許されず業者の管理支配に服さねばならない関係にあつた場合には、売春婦としてはその間有形、無形の圧力を感ずることは否定できないところであつて、業者から受ける影響は仮令時間的な制約があつても住込みの場合とさほどかわりがないから、かかる場合も同条にいう人を自己の占有管理等する場所に居住させた場合に該当するものと解するのが相当である。そこで本件についてみると、さきに認定したところによつて明らかな通り、前記三名の女給を付近のアパートから通勤させ、ドリンク制に従つて売春させていたものであるが、売春業者たる被告人は同女等に固定給を殆んど与えないで、生活費を得るために同女等が通勤せざるを得ないようにし、勤務時間中は自由に外出することも許さず、その間同女等をして前記ドリンク代を稼がせるとともに売春の相手方を求めさせ、結局夕方から午後一一時頃までの数時間同女等を同カフエーに留まらせ売春の客待ちをよぎなくしたことが認められるから、たとえ同女等は同カフエーで起臥寝食していた事実はなくとも、かかる状態はさきに説示した如く売春防止法に定める「人を自己の占有する場所……に居住させ」た場合に該当するものというべきである。所論はドリンク制の実態を理解しない独自の見解であつて、とうてい採るを得ない。(もつとも原判決は「女給森敬子外三名を同家屋内に住込ませ、又は午後六時頃から同一一時頃まで同店内で客待ちさせる等して」「人を自己の占有する場所に居住させ」た旨極めて簡略に判示し、いかなる行為が、居住させたことに該るのかその趣旨必ずしも明確でないが添付の犯罪一覧表と対照することによつて住込の梶洋子を除く三名の女給については一定の時間被告人の占有する店内で客待ちさせたことを以て右に説示した意味において「居住させ」た場合に該当するものとした趣旨であると解せられる)原判決の認定には所論の如き事実誤認の廉はない。論旨は理由がない。

よつて刑事訴訟法三九六条により主文のとおり判決する。

(裁判官 山田進之助 瓦谷末雄 岡本健)

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